休まないことが美化される教育現場
私はだいたい月曜日から金曜日まで、7時半から20時半まで学校にいます。
土曜日は、午前中授業で15時ごろに学校を出ます。
日曜日も準備のため出勤することも珍しくありません。
昨年までは、22時まで平気で学校にいました。それでも授業準備、会議、生徒指導、分掌の仕事など仕事は溜まっていく一方でした。
「教育は無限」だけれども、「教員は有限」なのだ。だから、教員は疲弊していく。
上の言葉は、言い得て妙です。疲弊し、質が下がる、それを避けたいと思っています。
疲れた顔で生徒の前に立つことほど、辛いことはありません。
自分の仕事が何なのか、頼まれたら何でもYESということが正しいことか疑問に思いました。
私は自分の仕事をマネジメントすることも大切だと思っています。
自分のキャパシティを超えないように、見極めるこれも仕事です。
「子どものため」に夢中になって職務に没頭していく。それを教師のあるべき像として讃えるかぎり、どれほど教員の仕事が増えていっても、それをこなしていくことが正当化され、長時間労働の問題はまったく見えてこない。
教育という仕事は、たしかに子どもの未来をつくりだす、尊い仕事である。だが、だからこそ先生たちには健全な労働者として過ごしてほしい。疲れ切った労働者のもとで、よい教育が生まれるとは、私には思えない。
「生徒のため」という言葉ってもろ刃の剣のような気がします。
そういう気持ちも大切だと思うのですが、なんでもそれで許されていいのかは疑問です。
同僚にも、この言葉を胸に40度の熱を出しながらもテスト作成に勤しんでいた人がいます。さすがに夜間救急に行き、ダウンしました。
やはり学校は休まないことが美化される現場となっています。
上手に勤務を管理していく必要があると感じます。