C'est la vie

セラヴィ。「それも、人生」という意味のフランス語。教員を退職し、もう一度英語を学び直したり、価値観を広げたいと思って活動中。

「休めないなら辞めます」イマドキ20代が余暇を優先する理由、を読んで

dot.asahi.com

この記事を読んで、我ながら自分の考え方はイマドキ世代なんだなと感じました。

「休めないなら辞めます」とは言いませんが、例えば有給休暇は権利だと考えていますし、労働基準は明確にあるべきだと思います。

しかし、有給を使えるようになったのは働き始めて5年目くらいから、今だにサービス残業三昧。

労働基準なんて言えたものではありません。

この働き方に疑問があるものの、動き出せないのも事実です。

手帳に書いた志望リストの中から、電話に出た企業名にチェックを入れる。優先順位が落ちたことを示す印だ。日曜日に電話して電話に出た企業にも、同様のチェックをつけた。明日は友達と飲みに行った後、深夜に志望企業の電気が消えているかどうか直接見に行くつもり。こうして、入社後に残業を強いられないか、週末は本当に休めるのか、企業の実態を確かめているのだ。

なるほどな…と感じました。こうすれば実態を把握できるのは確かです。

うちの職場でも時間外であろうが、まるで24時間のコンビニのように電話がかかり、それを受けています。

疑問を誰も感じていないか、不思議でなりません。

「現に残業ゼロをうたっているところでも、深夜や日曜日でもワンコールで電話に出る人がいて、背後で働く人がいる様子が伝わってきたこともある。先輩からも“会社が公表する数字なんて、お飾りみたいなものだ、信じるな”って言われてきました。いわば選考に進む前の“自己防衛”みたいなものです」

結局、私の職場のような環境は特別でなく普通なのでしょう。

ここまでして働かないと経済は回らないのでしょうか…。

 

フルタイムで働けることで受ける恩恵もあります。

給与面では安定があります。

しかし、経済的なゆとりと引き換えに失うものも多いです。

精神的なゆとりや、プライベートな時間は大きく失われています。

「昔も今も、基幹社員として一人前になるには、首までどっぷり仕事につかる期間が必要なはず。今でいう“サービス残業”も、昔は自主的な“学びの時間”で、それが会社にも認められていた。でも今は、会社にいる時間は勤務時間として申告し、終わったらとっとと帰れ、だらだら仕事をするなということになっている。全てがコスト管理の感覚で、非生産的な時間が認められづらい。若手が勉強しようと思ってもしづらい時代だなと思います」(金融・53歳) 

 上の感覚は、定年まで働き続けることが前提にある考え方だと感じます。

今の時代、定年まで同じ会社で働き続けることが可能か疑問です。

情報が溢れ、多様な価値観に基づいて人々は生活しています。

その価値観のコンセンサスとして労働基準があると思うので、労働基準を超える働き方を強いることはできないと思います。

私自身、今の職場から次の職場を探したいと考えて、自己研鑽に時間を費やしています。

その時間を確保するためにも、労働基準がきっちりと守られて欲しいです。

定年まで働きたいと思える環境なら、色々な逸脱も我慢できるかもしれませんが…。