C'est la vie

セラヴィ。「それも、人生」という意味のフランス語。教員を退職し、もう一度英語を学び直したり、価値観を広げたいと思って活動中。

Chapter2-4「フィリピンで感じたこと」

幸せとは絶対的なものであり、不幸とは相対的なものである

日本がいくら物に溢れて、裕福であろうが自殺者は出るし、ストレスを抱えた大人もたくさんいる。フィリピンの街はゴミがいっぱいあったし、着ている服は穴が空いていたりする人もいたけれど、家族と一緒に生活し、恋人と一緒に時間を過ごし、笑顔で生活しているのが印象的だった。学校のフィリピン人の先生たちは、休み時間に、歌を大きな声で歌い、大笑いし、まるで日本の先生たちとは大きく違う。私が日本で学校の教員をしていた頃、職員室は静かにするところだと心得ていた。職員室でうるさくする教員を残念に思っていた。正直なところ、何が正解かわからないけれど、彼らは笑顔でいるように自らを働きかけているのは事実だ。自分は幸せだと感じる生き方をする。同僚を巻き込んで一緒に歌い、幸せを感じる。それは人と比べて幸せということではなく、自分が幸せかどうかを決めて生きるにすぎない。結局、幸せを自分で決められない者が、他人と自分を比べ不幸と決めるのかもしれない。

 

フィリピンの勢い

ある授業でDebateをしたときの話である。議題はMoney is more important than time.だった。フィリピン人の先生はMoneyが最も重要だと、周囲を憚からず主張する。韓国人と日本人は時間と答える。その先生はお金のためなら何時間でも働くという。実際、先生は朝8:00〜21:00まで働いている。今の日本の若者にお金のためなら何時間でも働くという姿勢があるだろうか。やりがいや達成感という実体のない感情を重視し、心のバランスを求めている。しかし、この先生のようなパワーはなかなか今の日本にないし、こういう人たちが社会を支えて行くとしたら、フィリピンの未来は明るい気がした。きっと彼らは、日本人のように病みはしないだろう。

 

なぜ日本政府はフィリピン人英語講師を日本に招聘しないのか

語学学校に通って、ベテランの先生は特に指導力の高い先生が多かった。フィリピン人の性格は、フレンドリーで語学の教師としてはとても良いポテンシャルを持っていると思う。発音の訛りは多少あるにしても、日本人英語教師の英語能力を考えると、それ以上だ。また日本で働いてみたいと思っているフィリピン人も多いのではないか。もしそうであるなら、WIN WINの関係が築けるのではないか。小学校英語の英語教師不足とか大学入試の4技能導入とか、様々な課題を克服できる可能性を持っている気がする。本当に力のある日本人英語教師しか生き残れなくなってしまうかもしれないが…。

 

気品について

空港で何気なく人々を見ていると、気品を感じる人を見かける。背筋が心地よく伸びており、健康的な身体、自信が溢れるものの誠実そうな眼差し。そんな眩しい人々に憧れの感を持ちつつ、さて自分はどうだろうかと振り返る。背筋は伸びているか?健康的な身体か?自信が溢れているか?誠実な眼差しか?答えはNOである。外見については改善しようのないところも多いものだが、改善できるところは改善したい。自分のベストの気品を追求することは価値のあることだと思う。これからの自分の課題として認識しておきたい。

 

日本人と海外の人の違い

Immigrationの列に並んでいると、誰が日本人かそうでないか、雰囲気で感じ取れる。日本人は基本的に、無難な格好(可愛いとか落ち着いた)をしている。海外の人々はaggressive(攻撃的な・派手な)な服装が多い。海外の人はきっと自分を「強く・自信があり・自立した存在」として見て欲しい傾向が強いのかもしれない。逆に日本人は「可愛い・目立ちたくない・落ち着いた存在」として見て欲しいのではないだろうか。日本人は男性ですら可愛く見られたい傾向があると思う。割と女子っぽい格好や髪型をした日本人を見かけるので、若干中性的な外見に支持があることは否めないのではないか。ジャニーズが支持を集めるように。