C'est la vie

セラヴィ。「それも、人生」という意味のフランス語。教員を退職し、もう一度英語を学び直したり、価値観を広げたいと思って活動中。

語学学校のブラジル人たち

通っている語学学校に、ブラジル人がたくさんいて、一緒にクラス内で話すことがあるんですけど、ブラジルからカナダに移住したいって口を揃えていうんですよね、みんな。

なんでって聞くと「Security」って返ってくるんです。

日本人の私からすると「は?」ですよね。

また、授業の中で人生で大切なものは何って質問があって、アジアの人々は家族、お金、時間とか答えるのですが、やっぱりブラジルの人は「Security」って返答する。

どんだけ危険なんだブラジル…。って思って掘り下げていくと笑えなかった。

基本、強盗にあって当たり前の感覚。

強盗された人は過半数を余裕で上回ってた。

パブリックな場所でスマホをいじってると十中八九狙われるらしい。

もちろん、地域にもよるらしい。リオは特に危ないと聞いた。

ホームステイで一緒に暮らしているおっちゃんのブラジル人は、拳銃を頭に突きつけられて、車を盗まれたって。

本当に生きててよかったよ、おっちゃん。

お金があっても欲しいものも買えないって言ってたな。

良い車買っても盗まれるし、でっかいテレビを買っても盗まれるらしい。

だから、そのおっちゃんブラジルからこっちに移住したいって必死で勉強している。

そういう人が、たくさんいます。

日本人からすると、当たり前の「安全」で、そのありがたみが全然わかってない気がします。

このようなことが世界には溢れているんだろうなあ。

本とかで読んでもなかなか実感わかないけれど、身の回りの人が拳銃を突きつけられたって聞くと鳥肌立ちます。

日本の良いところが感じられて、良い一日でした。

もっと色々なことを肌で感じて、ストックしていきたいですね。

Chapter2-5「カナダに到着」

家から合計20時間以上かけてカナダに到着しました。

東海岸の街に来ております。

時差は12時間。昼夜が逆転してます。時差ボケを初めて体感し、苦しんでいます。

毎日朝3時に目が覚めて、浅い眠りを繰り返しております。

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ホームステイ先には、カナダ人のおじいちゃんとおばあちゃん、そして30後半のブラジルの留学生もいて、なかなか経験できない生活を送っています。

皆さん親切で助かっています。

カナダ人のおじいちゃんとおばあちゃんの英語は、なかなか聞き取りづらいです。

もう70代ですが、とても明るく元気な人です。

彼らの英語を聞き取れるようになれば、私の英語力が伸びているということなんだろうと思います。

ちなみに、すでにこの家で5ヶ月暮らしているブラジル人のおっちゃんも、彼らの英語はなかなか聞き取るのが難しいと言っていました。

そのわりには、上手にコミュニケーションをとっています。彼曰く、「文脈」らしいです。若者がよく言う「ノリ」みたいな感じですよね笑。

 

これまでに2度ホームステイをしたことがあります。

ホストの方々は基本的に日本人と話すときは、ゆっくりわかりやすい英語で話しかけてくれました。

しかし今回のホストは、容赦ないスピードで話しかけてくれます笑。

最初の1週間は、分かったフリをするのも難しいレベルでした汗。

少しずつ、分かることも増えてきたかなと思います。まだまだですが…。

 

Chapter2-4「フィリピンで感じたこと」

幸せとは絶対的なものであり、不幸とは相対的なものである

日本がいくら物に溢れて、裕福であろうが自殺者は出るし、ストレスを抱えた大人もたくさんいる。フィリピンの街はゴミがいっぱいあったし、着ている服は穴が空いていたりする人もいたけれど、家族と一緒に生活し、恋人と一緒に時間を過ごし、笑顔で生活しているのが印象的だった。学校のフィリピン人の先生たちは、休み時間に、歌を大きな声で歌い、大笑いし、まるで日本の先生たちとは大きく違う。私が日本で学校の教員をしていた頃、職員室は静かにするところだと心得ていた。職員室でうるさくする教員を残念に思っていた。正直なところ、何が正解かわからないけれど、彼らは笑顔でいるように自らを働きかけているのは事実だ。自分は幸せだと感じる生き方をする。同僚を巻き込んで一緒に歌い、幸せを感じる。それは人と比べて幸せということではなく、自分が幸せかどうかを決めて生きるにすぎない。結局、幸せを自分で決められない者が、他人と自分を比べ不幸と決めるのかもしれない。

 

フィリピンの勢い

ある授業でDebateをしたときの話である。議題はMoney is more important than time.だった。フィリピン人の先生はMoneyが最も重要だと、周囲を憚からず主張する。韓国人と日本人は時間と答える。その先生はお金のためなら何時間でも働くという。実際、先生は朝8:00〜21:00まで働いている。今の日本の若者にお金のためなら何時間でも働くという姿勢があるだろうか。やりがいや達成感という実体のない感情を重視し、心のバランスを求めている。しかし、この先生のようなパワーはなかなか今の日本にないし、こういう人たちが社会を支えて行くとしたら、フィリピンの未来は明るい気がした。きっと彼らは、日本人のように病みはしないだろう。

 

なぜ日本政府はフィリピン人英語講師を日本に招聘しないのか

語学学校に通って、ベテランの先生は特に指導力の高い先生が多かった。フィリピン人の性格は、フレンドリーで語学の教師としてはとても良いポテンシャルを持っていると思う。発音の訛りは多少あるにしても、日本人英語教師の英語能力を考えると、それ以上だ。また日本で働いてみたいと思っているフィリピン人も多いのではないか。もしそうであるなら、WIN WINの関係が築けるのではないか。小学校英語の英語教師不足とか大学入試の4技能導入とか、様々な課題を克服できる可能性を持っている気がする。本当に力のある日本人英語教師しか生き残れなくなってしまうかもしれないが…。

 

気品について

空港で何気なく人々を見ていると、気品を感じる人を見かける。背筋が心地よく伸びており、健康的な身体、自信が溢れるものの誠実そうな眼差し。そんな眩しい人々に憧れの感を持ちつつ、さて自分はどうだろうかと振り返る。背筋は伸びているか?健康的な身体か?自信が溢れているか?誠実な眼差しか?答えはNOである。外見については改善しようのないところも多いものだが、改善できるところは改善したい。自分のベストの気品を追求することは価値のあることだと思う。これからの自分の課題として認識しておきたい。

 

日本人と海外の人の違い

Immigrationの列に並んでいると、誰が日本人かそうでないか、雰囲気で感じ取れる。日本人は基本的に、無難な格好(可愛いとか落ち着いた)をしている。海外の人々はaggressive(攻撃的な・派手な)な服装が多い。海外の人はきっと自分を「強く・自信があり・自立した存在」として見て欲しい傾向が強いのかもしれない。逆に日本人は「可愛い・目立ちたくない・落ち着いた存在」として見て欲しいのではないだろうか。日本人は男性ですら可愛く見られたい傾向があると思う。割と女子っぽい格好や髪型をした日本人を見かけるので、若干中性的な外見に支持があることは否めないのではないか。ジャニーズが支持を集めるように。

 

Chapter2-3「韓国人の友達ができたことについて」

韓国人の友達について

語学学校で友達になったルームメイトについて書きたいと思う。

日本で報道されているような反日感情を抱いたものには一人も出会わなかった。若い世代というのもあるかもしれないが、むしろ日本を絶賛してくれる。特に日本文化(日本食・アニメ・漫画など)の評価が高い。日本人の私よりよく知っている。

竹島→韓国人は韓国の領土だと思っているし、日本人は日本の領土だと思っている。

北朝鮮→南北統一を望むものもいれば、経済が混乱するという見込みで反対するものもいた。どうなることやら。

 

韓国人の英語について(1)

韓国の大学生はかなりTOEICの対策をするらしい(一部の話かもしれないが)。700点ないと卒業できないとも聞いた。ルームメイトは700点以上とっているらしいが、スピーキング力、特にfluencyに欠けていた。グラマーの知識はまあまああるが、ボキャブラリーは乏しい。韓国の英語教育も苦労していそうだなと感じた。

とはいえ、個人により能力のバラツキがあるのが実際で、スピーキング力の高い韓国人もたくさんいた。グラマーは結構適当だけど、発音もよく単語をつないで喋る猛者もいる。それで伝わってしまうのも面白い。昔、出会ったブラジル人がそうだったなと記憶が蘇った。彼は、発音がとても良かったので、日本人からすると西洋な顔立ちも相まって、いかにも英語を話しているように感じるから面白かった。

 

韓国人の英語について(2)

発音に関しては、韓国人の方が日本人よりも音を持っていると感じた。韓国語をいくつか教えてもらったが、微妙な音を聞き取るのが難しいと感じた。これには脳にインストールされている音の数が違うなと感じた。またいくつか面白かった現象があった。彼らのpastとfastの発音だ。日本人はpastを[pάːst]と発音するが、韓国人は[pˈæst]、fastを日本人は[fάːst]韓国人は[fˈæst]。そして、我々の英語がジャパニーズイングリッシュと言われるように、彼らの英語もまたコリアンイングリッシュだと感じる。人にもよるが、韓国語のアクセントの影響を受けてか、語尾が異様に強い。I don’t know.が「アイドンノォオ〜↑」。私は個人的に韓国人の英語のなまりは結構好きで、実際彼らのなまりが少しうつった気がしている。

 

総括

韓国人のルームメイトをはじめとする友人たちに非常に感謝している。彼らのおかげで二週間楽しく過ごせた。眠たい目をこすりながら、一緒に勉強したり、夜遅くまで、日本の文化や韓国の文化を語らい合ったりした思い出は忘れないだろう。そして、彼らは私以上に日本について詳しい部分もあったし、私自身もっと上手に日本について英語でしっかり説明できるようにしたいと思った。海外で生活する以上、日本の代表だという気持ちは忘れてはいけない。私の友達にとって、私は日本人で日本の印象を大きく左右する存在なのだから。

Chapter2-2「フィリピン語学学校二週間」

フィリピンのセブにあるスパルタの語学学校でIELTS講座を受講しました。

 

フィリピンに着いて空港から東南アジアの熱気を感じました。

大学生の時に初めて行った海外旅行がタイだった私にとってとても懐かしいのです。

語学学校のピックアップの生徒兼マネージャーに会いました。

一人は台湾人の少年。

もう一人は韓国人の少年。

この語学学校では、日本人が一人もいなかったので、英語を話さなくてはならないという感じになります。

マネージャーから学校の説明を受けて、わからないところは丁寧に聞き直しました。

空港から学校までおよそ1時間、その道には裸足で停車中の車のドライバーに物を売っている子供や、小さい子が遅くまで親の仕事を手伝っていたり、荷台にたくさんの人が乗った車があったり、発展途上国というのを実感しました。

しかし日が経つにつれて、これが当たり前の光景になっていきました。順応していくというか、何というか…。

 

学校に到着すると学校内を紹介してもらい、これからの予定を聞きました。

部屋に入るとルームメイトに会いました。

 

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部屋は4人部屋でした。

 

考古学の教授になりたい青年と、日本食の料理人になりたい青年、会計士になりたい青年でした。

コミュニケーションをとりたいという気持ちが先行して英語を勉強するというのは本当にいいなと思います。

トイレや、シャワーはボロボロで汚いけれど、許容範囲でした。

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むしろ、英語を通して人と繋がることができることが嬉しいと思います。 

一週間が経過する頃には、ルームメイトを中心に大分打ち解けてきました。

Aidenとは夜中まで語り合うほどになり、こんな人間関係を築けることに感謝しています。

 

Speakingの授業では自分についての話などをしなければなりません。もちろん日本人ですから、日本文化などについても当然話すことになります。

特に日本の自殺の問題は、とても興味深いみたいです。悲しいですが…。

よく言われることが自国の文化を喋ることができることは大切ですね。

 

二週間は本当にあっと言う間に終わりました。

最後に良かった点・悪かった点をあげておきたいと思います。(個人の意見です)

 

良かった点

・日本人一人なので、英語を使わざるを得ない環境が得られる。

・スパルタなので、一日10時間程度強制的に勉強できる。

・スピーキングが得意な先生が多い。

・先生やスタッフがとてもフレンドリー。

・寮と教室が併設なので、移動時間がない。

・寮生活は友達が出来る。

 

悪かった点

・韓国料理に飽きてしまう。(韓国人が95%くらいなので仕方ない!)

・一日10時間の授業は、消化不良感があることは否めません。

・道は結構危ない。信号がほとんどなく、横断するのが日本人からすると一苦労。

 

費用

・授業料2週間(宿泊代+食費+テキスト+諸経費込み)=9万

・飛行機代+家 to 空港の代金込みで=8万(直前に取ったのと家が空港から遠いので高くついている)

・現地でのSIM・データ・外食費=5000円

[総額]17万5000円

どうでしょうか。同じ期間、ニュージーランドやオーストラリアでホームステイしながら語学学校に通うことを考えると40万ぐらいするかもしれません。それならフィリピンでも良いと思います。

また、今回は2週間でしたが3ヶ月ぐらいのプランで考えるとよりコストパフォーマンスは上がると思います。

 

 

まとめ(結局フィリピン留学は効果があるのか?)

・私の答えはYESです。とにかくアウトプットできますから。

・期間的には三ヶ月ぐらい行くと成長を目に見えて実感できると思います。

・強制的に10時間英語を勉強できる環境が与えられることはとても価値があります。なかなか、一人ではできません。

・日本でできるだけ基本(文法や単語)を抑えてから行くと効果が高いと思います。(例えば英検2級ぐらいとってから行くとちょうどいいのではないでしょうか)

・日本人の少ない学校が良いと思います。英語を絶対使わないといけない状況に追い込まれるので。

 

ブログ名、変更について

Life travelerからC'est la vieに変更しました。

 

Life travelerは私の好きな作家の喜多川泰さんの同名小説から拝借したものです。

ライフトラベラー 人生の旅人

ライフトラベラー 人生の旅人

 

 どんな人の人生にも意義があり、不幸も全てあなたの人生のスパイスであるというメッセージを含んだ小説です。 

 

 

C'est la vie.(セ・ラヴィ、セラビ)は、フランス人がしばしば口にする決まり文句、慣用句。あえて日本語にするならば、「これが人生さ」「人生って、こんなものさ」「仕方ない」などに相当する。(Wikipediaより)

職を捨て、これから自分の人生を生きて行く中で、上手くいかないことがたくさんあると思います。

そんな時に、C'est la vie「それも人生。」と呟く余裕を持ちたいと思いました。

もちろん、逃げるという意味ではなく、ベストを尽くしてこそ言える言葉だと思います。

 

これから色々な国を見て、それぞれの人生を感じ、日本にいるとき以上に自分自身との違いを感じると思います。

様々なものを吸収し、自分自身の信念を深めていきたいと思います。

それを数年後に日本に持ち帰り、若い世代にアウトプットしたいです。

 

そもそもは、Luv (sic)pt.2という曲でこの言葉を知りました。 


Shing02 - Luv (sic) part 2

 

C'est la vie, as they say L.O.V.E evidently, see every song has a sequel
セラヴィ、と言うように愛は、はっきりとすべての歌に続きがある

Never same, everything but the name, all fresh just like back then, how we do everyday
名前以外の全ては移り行く、昔のように新鮮に、毎日を生きるんだ

C'est la vie, as they say L.O.V.E eloquently, see every dream has a part two
すべての夢に続きがある

Never same, you got to keep it tight, all fresh just like back then, now hear me out…
全ては移り行く、前に進もう、昔のように新鮮に

 

every dream has a part two「すべての夢に続きがある」

仕事を辞めた私にとって、人生のパート2です。前に進もう。ポジティブに生きていきます。

 

とても綺麗な曲です。歌詞の内容も素晴らしい。

ぜひ聞いてみて下さい。

 

 

Chapter2-1「最終日」

2018年3月24日(土)は7年間勤務した私立中高一貫校の最終日でした。

中学3年生を担当していたのですが、義務教育終了式の後も特別授業という補習授業を行っていました。

生徒には退職することを黙っていたのですが、彼らは私が今日でいなくなるということを知っていました。

後で知った話ですが、同僚の先生がこっそりと教えていたようです。

区切りをしっかりとつけた方が良いと判断されたのでしょう。

 

生徒からサプライズのプレゼントがありました。

記録帳(日々の反省を書くノート)の中に挟んでいた手紙でした。

綺麗な便箋からルーズリーフに書かれた、個性のあるメッセージ。

そしてそれを入れる箱をくれました。

隣のクラスの子たちは写真とコメントのノートをくれました。

最後の挨拶の前に二人の生徒が元気な三本締めをしました。

 

一人一人、コメントを私へ言ってくれました。

そんな大した人間ではないのに…。と心の中で思いましたが、

子供たちにとっては大人は大きな存在なのでしょう。

たくさんのポジティブなメッセージと別れの言葉。

「先生のような教師になりたい」

「人生を大きく変えてくれた」

「ありがとうございました」

「頑張ってきてください」

そして、言葉にならない涙。

ある生徒の号泣に、私はもらい泣きし、クラスのたくさんの子たちが泣きました。

 

「最後に握手を一人ひとりしよう」と言いました。

言葉では伝わらない、一人ひとり違う感触は、冷たかったり暖ったり色々でした。

誰ひとり同じ人間はいない、かけがえのなさを感じたかったのかもしれませんし、

私自身の温度と言いましょうか、言葉では伝わらない何かを伝えたかったのでしょう。

こんなに泣いて笑った日は今日までそしてこれからないのではないでしょうか。

 

3年間という年月の中で、担任として良いときも良くないときも一緒に過ごし、

悩み戦ったからこそ今日という感動的な1日を味わうことができたのだと思います。

 

「一生懸命」その先には「感動」があり、「感動」の先には「幸せ」がある。

そして「幸せ」の中に「つながり」が生まれる。

 ゴールに向かって仲間とともに「一生懸命」走る。

そんな生き方をしていきたいです。

 

普段泣かない私が泣けたことに感謝。

3年間担任を持たせてもらったことに感謝。

それだけ私にとって貴重な経験だったのでしょう。

次に良い涙が流せる日が来るように、私は1日1日を大切に過ごしていきたいと思います。

 

生徒たち、ありがとう。

私が教えた以上に、私はみなさんから教えられたと思います。